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東京地方裁判所 昭和29年(行)8号 判決

原告 荒木繁

被告 東京都教育委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十八年三月四日付で原告に対して為した休職処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める旨申し立て、その請求原因として、

一、原告は東京都立西高等学校(以下単に西高という)教諭の職にある地方公務員であるが、昭和二十七年十二月二十二日東京地方検察庁検察官岡崎格によつて騒擾附和随行罪をもつて東京地方裁判所に起訴されたところろ、被告は、原告が地方公務員法(以下単に法と略称する)第二十八条第二項第二号に該当するとして、昭和二十八年三月四日付で原告を休職にするとの処分を為し、同月六日これを原告に通知した。そこで原告は同日右処分を不服として東京都人事委員会に審査の請求をしたが、同委員会は口頭審理の結果同年八月六日付で右休職処分を承認する旨の判定をなし、その判定書は同月十一日頃原告に送達された。

二、しかしながら被告の為した右休職処分は違法であつて取消さるべきである。

(一)  法第二十八条第二項第二号の規定は日本国憲法(以下単に憲法という)第十四条に違反する違憲の法律であつて無効であり、無効の法律に基いて為された本件処分もまた無効である。すなわち、憲法第十四条はすべての国民の法の下における平等の大原則を一般的に宣言し、正当の理由なしに国民を差別することを禁止する趣旨を定めたものである。一方何人も法定の手続によらなければいかなる刑罰も科せられず(憲法第三十一条)、有罪判決が確定するまでは被告人は無罪の推定を受けるものであることも近代法の原則であつて、検察官の公訴の提起は、単に検察官が裁判所に対し被告人の処罰を求める意思表示の意味を有するにすぎない。従つてたとえ起訴されても有罪判決が確定するまでは無罪の推定を受ける以上、起訴の事実だけで国民を差別待遇することは憲法第十四条によつて許されないものというべきであるから、起訴された事実をもつて地方公務員を不利益に差別待遇することを認めた法第二十八条第二項第二号の規定は、憲法第十四条に違反して無効であり、この無効の法律に基いて為された本件休職処分も無効であるが行政処分として形式上存在するから取消さるべきである。

(二)  仮りに法第二十八条第二項第二号が憲法第十四条に違反する無効のものでないとしても、原告は法第二十八条第二項第二号に該らないから本件休職処分は違法である。

(イ)  右条項にいう「刑事々件に関し起訴された場合」とは、起訴と同時に地方公務員(以下単に職員という)の身体が拘束され、相当長期間職務に従事することができなくなつた場合を意味し、右条項はその職務に従事することができなくなつた期間に限つて休職することができる趣旨と解釈すべきものである。けだし右の期間に限つて起訴された職員が差別待遇を受けるだけの合理性と正当性が認められ、前記憲法第十四条に違反することを免れるからである。

(ロ)  又右条項には職員が刑事々件に関し起訴された場合には任命権者はその職員を休職することができるとあるけれども、右規定は起訴されただけで休職することを認めたものではなく、起訴された事実の外にその職員を休職することを相当とする具体的な事由が存在するときに始めて休職することができる旨を定めたものと解すべきである。換言すれば職員を右条項によつて休職するためには、客観的標準からみてその職員が公務員たる適格性を欠き、その職に従事することを不当とするような相当の理由があることが必要なのである。なぜならば法は、職員がその意に反して免職、休職等の不利益処分をうける場合を同法又は条例で定める事由のあるときに限定し(法第二十七条)、その処分に不服のある者は人事委員会に審査の請求をして救済を受けることができる(法第四十九条)ことにして職員の身分を保障しているのに、単に起訴されただけで休職することを許したことになると、その処分を受けた職員は、起訴された事実がある以上、審査の請求をしても人事委員会では審査をする余地がない訳であつて、このように解することは審査の請求を認めて職員の身分を保障した法の立法趣旨に反することになるからである。

(ハ)  仮りに法第二十八条第二項第二号が起訴された事実だけで休職することを許したものであるとしても、同項本文の「休職することができる」との文言から明らかなように、起訴された職員を休職しなければならない訳でないことは勿論で、前記(ロ)に述べたとおり法が職員の身分を保障している趣旨からみても法はその職員を休職させるかどうかの判断を任命権者の自由裁量にまかせているのではなく、その職員について休職を相当としない特別の事情がある場合には、その職員を休職することは許されないものと解すべきである。

法第二十八条第二項第二号の規定は右のように解釈すべきものであるところ、原告は本件起訴によつて身体を拘束されないから職務に従事するのになんらの支障はなく、休職を相当とする具体的事由はなんら存在しない許りか、却つて休職を相当としない特別の事情がある。

(1) 騒擾附和随行罪の法定刑の最高は罰金二千五百円(刑法第百六条第三号罰金等臨時措置法第三条)であつて、定まつた住居を有する原告を勾留することはできない(刑事訴訟法第六十条第三項罰金等臨時措置法第七条第一項)し、実際上も原告は身体を拘束されないで起訴されているのであるから、右起訴によつて原告がその職務に従事するのに殆んど支障はない。

(2) 原告は公判期日に出頭することを要しない(刑事訴訟法第二百八十四条、罰金等臨時措置法第七条第二項)から、公判中も原告が職務を遂行するのに支障はない。

(3) 騒擾附和随行罪はいわゆる破廉恥罪ではない。

(4) 職員は有罪の判決を受けただけでは免職されることはなく、禁こ以上の刑に処せられた場合に限り職を失う(法第二十七条第二項、第二十八条第一項、第六項、第十六条第二号)に過ぎないから、仮りに附和随行罪によつて有罪の判決があつたとしても、当然に失職しないことは勿論免職することができる場合にも該当しない。

(5) 原告に対する起訴事実は客観的になんら犯罪を構成しないものであり、右起訴は、被告と東京地方検察庁とが意を通じて原告を教職から追放しようとの政治的意図をもつて為されたものである。

(A) 被告はかねてより原告に悪意を抱いていた。即ち昭和二十四年末頃西高の生徒が校内でレツドパージ反対のビラを配付したことで無期停学処分を受けた際、原告は西高職員協議会で右生徒に対する処分に反対したことがあつた。また昭和二十五年十二月十日毎日新聞が西高生徒が赤化していると報道したことがあつた。被告及び同校々長細田菊雄は、このような事態がおこるのは原告の指導によるものであると考え、原告に敵意を抱き故意に組担任とせず、原告の生徒に対する影響を極力排除しようとしていたが、昭和二十七年メーデーの際同校の生徒九名が騒擾罪容疑で逮捕され、社会的問題となると、生徒のメーデー参加は原告の言動に起因するものであるとして、益々原告に敵意を抱き、教職から追放しようと企てた。

(B) 起訴事実は犯罪を構成しない。昭和二十七年四月三十日原告の所属する東京都高等学校教職員組合(以下単に都高教組と略称する)西高分会では職場会を開いて、本部からのメーデーに全員参加せよとの指令を支持して、組合員全員がこれに参加することを決議した。それで原告は翌五月一日都高教組のデモ隊に参加し、明治神宮外苑から日比谷公園に向つてデモ行進をし、同公園を経て祝田橋から皇居前広場に入つたが、当時祝田橋は警視庁巡査が交通整理に当り、皇居前広場への出入りは自由であつて、警官隊は祝田橋でデモ隊の入場を阻止したり、立入り禁止を通告した事実もなかつたので、原告はデモ隊と警官隊とが衝突することを全然予想しなかつたが、更に原告がデモ行進中日比谷公園附近で原告のデモ隊に近寄つてきた別のデモ隊のなかに女子を含む西高生徒を見出だしたので、原告も都高教組のデモ隊を離れ、生徒の参加しているデモ隊に加わり、生徒等と一緒に皇居前広場に到達した。このことは原告に騒擾に附和随行する故意がなかつたことを推認せしめるのである。なぜならば原告がもし暴行脅迫を共同にする意思をもつて騒擾に参加したとすれば、万一の場合には生徒達の生命、身体にまで危害を及ぼす結果を生ずることが当然予見できるのであるから、教師として生徒達に愛情をもつている原告がこのような行動にでるとは到底考えられないからである。又当日皇居前広場において、警官隊がデモ隊に対し襲撃を加える際、予め解散命令も襲撃の予告もあたえない許りか、警官隊は無装備かつ無抵抗の原告等に突如として所携の警棒を振つて殴りかかり、右襲撃から逃れようとして折り重つて倒れた原告等を更に乱打する等の暴行を重ねたので、原告等は遮二無二安全地帯に難を避けるための努力をしたにすぎず、原告等は警官隊の右暴行の被害者であつて、積極的に騒擾に附和随行した事実はないのである。

(C) 本件起訴は原告を教職から追放しようとの政治的意図で為されたものである。前記のとおり騒擾附和随行罪は法定刑が二千五百円以下の罰金である最も軽微な罪であつて、このような罪で起訴されること自体異例なことであるのみならず、メーデー騒擾事件の被告人二百五十三名のうちこの罪で起訴された者は、原告以外には唯一名のみであつて、右事件の際原告と同様の立場にあつた者は他に多数存在したのに、特に原告だけが起訴されたことは甚だしく異例の措置である。また右事件の発生後、原告は捜査当局により身体を拘束されて取調べを受け間もなく釈放されてから処分保留のまま八カ月近く経過し、その間にはなんらの取調も受けず、突然起訴されたもので、右起訴は他のメーデー騒擾事件の被疑者等と比べても極端におくれているのである。また右事件発生後、当時の西高生徒係の教官岸田文夫及び増田良繁が原告の取調に当つていた東京地方検察庁佐久間検事と面会した際、同検事はもし原告が共産党員であるのに教育長や校長が処分できないのだつたら起訴してもよい旨を公言したことがある。更に昭和二十七年十二月二十七日の朝日新聞の夕刊で原告が起訴されたことが報道されると、細田校長は、原告がまだ起訴状謄本の送達も受けていないのに、右新聞記事だけで昭和二十八年一月八日支給される原告の同月前期分の俸給を休職なみの六割にしようとしたり、同月十三日原告が起訴状謄本の送達を受けると、都教育庁職員課長田中喜一郎と通謀して、同月十六日なんらの権限もないのに原告に自宅謹慎を勧告した。このような事実から本件起訴は、被告が東京地方検察庁と通謀して原告を教職から追放する意図のもとになんら犯罪を構成しない事実についてなされたことが推認できるのである。

(6) 昭和二十八年二月上旬以来原告の教え子である西高生徒をはじめ同僚の同校教職員、都高教組本部委員、各支部委員はそれぞれ挙つて本件起訴による原告の休職に反対し、被告に陳情を重ねた事実からみても原告は依然として生徒及び同僚の信頼を失つていないことが明らかであつて、本件起訴が原告の職務である教育上もなんらの支障となるものでない。

(三)  仮りに右原告の主張が認められないとしても、本件休職処分は被告の裁量権の範囲を逸脱し且つ人事権を濫用したものであつて違法である。本件休職処分は前記のとおりその理由となつた起訴がなんら犯罪を構成するものでなく、かつ右起訴が被告と東京地方検察庁とが意を通じて原告を教職から追放しようとする政治的意図をもつて為されたものであり、原告の学校勤務においても又教育の影響の面においても支障を及ぼすものではなく、却つて休職を相当としない特別の事情があるのに、これらの事実を無視して為されたものであるのみならず、更に前記のとおり西高の生徒をはじめ原告の同僚が挙つて原告の休職に反対したため、被告は起訴後直ちに原告を休職することができなかつたが、昭和二十八年三月五日東京都議会第一日において自由党系議員安藤章一郎から原告に対する処分について質疑を受けることを事前に聞知したので、その前日の同月四日右議員に迎合する意図をもつて本件休職処分を為したものであるから、本件処分はその裁量の範囲を逸脱しかつ人事権の濫用であつて違法というべきである。

三、以上の理由により本件休職処分は違法であるから、その取消を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、

被告主張事実に対する答弁として、

被告主張事実中昭和二十七年メーデー当日皇居前広場の使用が禁止されていたこと、当日外国人の自動車が焼払われ、死者一名、負傷者多数をだしたこと、メーデー騒擾事件で検挙された者が数百名、起訴された者が二百五十三名に達したこと、昭和二十八年一月十三日被告が東京地方検察庁より原告の起訴について被告主張のような通知を受けたことは認めるが、その余の事実は争う。

と述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、主文第一項と同旨の判決を求め、請求原因事実に対する答弁及び主張として、

一、請求原因一記載の事実はすべて認める。同二記載の事実中、原告が身体を拘束されないで起訴されたこと、附和随行罪がいわゆる破廉恥罪でないこと、原告主張の頃西高生徒が校長の許可を受けずにビラを配付したことで無期謹慎処分(無期停学処分ではない)を受けたこと、原告主張の日の毎日新聞が原告主張のような内容の報道をしたこと、原告が当時組担任をしていなかつたこと(ただし組担任をしない教員は西校教員の半分位もいたのであつて、とくに原告に敵意を抱いて組担任をさせなかつたのではない。)昭和二十七年のメーデーの際西高生徒九名が騒擾罪容疑で逮捕されたこと、同年四月三十日原告の所属する都高教組西高分会で本部からのメーデーに全員参加せよとの指令を支持する決議をしたこと、原告は事件発生後身体を拘束されて取調を受け、処分保留のまま釈放され、事件後八カ月近く経過した後になつて起訴されたこと、同年十二月二十七日朝日新聞夕刊紙上で原告の起訴されたことが報道されたこと、原告の主張の日に細田校長が自宅勤務(書類の整理や受持科目の研修のため)をするよう勧告したこと(右勧告は起訴された原告が教壇にたつことは生徒の学習心理や社会的な影響を考えてしたのであつて、原告に謹慎を命じたものではない。)原告主張のような陳情が被告になされたことは認めるが、その他の事実はすべて争う。

二、(一) 法第二十八条第二項第二号の規定は憲法第十四条に違反しない。憲法第十四条の法の前の平等の宣言も法の本質上当然それ自体に内在する制約を含んでいるものであつて、絶対に平等であることを宣言したものではない。もしそうでないとすれば、絶対の自由が国家生活を破壊するように、絶対の平等は人間生活自体を破滅させることになり、なんのために憲法をつくつたかわからない結果となるであらう。憲法第十四条に定められた法の前の平等も合理性によつて制約を受けるものであることは当然であるから、同条の趣旨は国民を不合理に差別待遇することを禁止したものであると解すべきである。そして法第二十八条第二項第二号の規定は不合理な差別待遇を許したものではない。現在の刑事裁判において起訴された事件が有罪となる割合は無罪となる割合に比べ断然多いことは統計の示すところであるから一般世人は刑事被告人に対しては有罪の疑いを抱くのが普通である。この実状と、起訴された事実の罪質殊にそれが強窃盗とか収賄とか殺人とかである場合、更にその被告人が長期間勾留されている場合等を考え合わせると、このような刑事被告人に職務行為を継続させることは事実上不能であり、或いはその職務の性質上不当な場合のあることはたやすく想定できることである。このような場合に起訴された職員を休職することは国民一般に通ずる合理性の要請するところであつて、そのような職員になお公務行為を継続させることは、良識ある国民の気持に合致しないものである。又原告の主張の無罪の推定の原則も確定判決を受けるまでではなく有罪の判決を受けるまでであるのみならず、その思想の沿革からみても右原則は刑事裁判上の一つの理念を示したものであつて、人間の具体的な法生活の一切に亘つて無罪として取扱うべきことを宣言したものではない。従つて起訴された職員を事情によつて休職することができると定めた法第二十八条第二項第二号の規定はなんら憲法第十四条に抵触するものではない。

(二) 職員が刑事々件に関し起訴された場合には任命権者はその自由裁量によつてその職員を休職することができる。即ち職員が刑事事件で起訴された場合には、その事実がある以上任命権者はこれのみを理由として法第二十八条第二項第二号に基いてその職員を休職することができるのであつて、休職するかどうかは任命権者の自由裁量に属するというべきであり、原告主張のように限定して解釈運用すべきではない。従つてその処分が裁量権の範囲内でなされたものである以上、その処分が仮りに合目的裁量に不当があつても、それは不当の処分であるに過ぎず違法の処分となるものではない。審査の請求はこの不当な処分を行政庁内部において是正しようとするものであつて、その処分の適否を問題とするものではない。従つて特定の行政処分について審査の請求が認められているからといつて、直ちに同じ理由で裁判所にその処分の取消を求められるという法理は成立たない。このように法第二十八条第二項第二号を限定解釈すべきことを前提とする原告の主張も理由がない。

(三) 被告の為した本件休職処分は正当である。原告は教職にある地方公務員である。いやしくも教職にある者は生徒及び社会の師表として高い尊敬と信頼を受ける反面、その言動及び身分上生じた一切の事情は敏感に生徒及び社会に影響を及ぼすことは他の職にある地方公務員と著しい差異がある。そのうえ原告の教えているのは最も動揺しやすい精神状態にある高等学校の生徒である。そして昭和二十七年のメーデー騒擾事件は我が国メーデー始まつて以来の空前の大事件であつた。即ちメーデーの行進に加わつた一部の過激分子は使用を禁止されていた皇居前広場に乱入し、警備の警官隊との間に乱闘を演じ、外国人の自動車を焼き払い、死者一名、負傷者多数を出し、検挙された者数百名、起訴されたものだけで二百五十三名に達し、まさに内乱の様相を呈し、外国新聞にも日本の内乱と報道された程で、国民に一大衝撃を与えたことは歴史上顕著な事実である。このような歴史的背景のもとに朝日新聞は昭和二十七年十二月二十七日原告がメーデー騒擾事件で起訴されたことを報道し、被告は翌二十八年一月十三日東京地方検察庁より、原告が昭和二十七年五月一日東京都千代田区皇居外苑広場の所謂メーデー騒擾に際し、同日午後三時過頃杉並土建労働組合員等の一団と共に暴徒に加わり、日比谷公園桜門より祝田橋を経て皇居外苑に進入し、二重橋前附近において前記一団と共にスクラムを組んで警察職員と対峙し、以て附和随行したものであるとの要旨の公訴事実により、原告が昭和二十七年十二月二十二日起訴されたとの通知を受けた。この起訴の事実が一度感じ易い生徒及びその父兄に知れると、原告が教壇にたつことは日々の生徒の学習心理に悪影響を与え又は与える虞れのあることは当然である。現にPTA役員は生徒の指導上困るから善処されたい旨被告に申出た程である。父兄が教師に関しこういうことを申出るのは経験上よくよくの場合である。以上のような歴史的背景と原告のおかれている具体的地位とを考察するならば、被告がその権限に基き原告を休職処分にしたことは任命権者のまさにとるべき正当な措置であつてなんら裁量の範囲を逸脱したものではなく、原告の起訴された事実に対する刑が罰金であるとか、起訴によつて身体が拘束されていないこと等の事実はもはや論ずる価値のないものといわねばならず、本件休職処分はなんら違法でない。

と述べた。(立証省略)

理由

原告が西高教諭の職にある地方公務員であつて、昭和二十七年十二月二十二日東京地方検察庁検察官岡崎格によつて騒擾附和随行罪の犯罪事実の下に東京地方裁判所に公訴を提起されたこと、被告は原告が法第二十八条第二項第二号に該当するとして昭和二十八年三月四日付で原告を休職処分に付しその旨を同月六日原告に通知したこと、原告は同日東京都人事委員会に右処分の取消を求めるため審査の請求をしたが、同委員会は口頭審理の結果、同年八月六日付で右休職処分を承認する旨の判定をなし、その判定書が同月十一日頃原告に到達したことは、いずれも当事者間に争いがない。

一、原告は法第二十八条第二項第二号の規定は憲法第十四条に違反して無効であると主張する。憲法第十四条はすべての国民が人間として平等の価値をもつという自然法の思想の立場にたつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地等の差異によつては、権利を保障する場合も義務を課する場合も平等に取扱うべきであるという原則を定めたものである。しかし自然法の平等権がそれ自体の中に合理的な制限を内包しているように、右憲法第十四条もすべて国民をあらゆる場合に凡ての点において絶対に無差別に取扱うことまでも要求してはいないのであつて、国民の基本的平等の原則の範囲内においては、不合理な差別でない限り、各人の年令、自然的素質、職業等の事情を考慮し、道徳、正義、合目的性等の要請より合理的な差別がされることのあることを許容しているものと解すべきである。そこで起訴された職員をその意に反して休職することができるとした法の前記の定めが不合理な差別であるかどうかについて考えてみると、なるほど刑事裁判上被告人は有罪判決の宣告があるまで(最高裁判所昭和二十五年(あ)第七号昭和二十五年五月四日第一小法廷判決、刑事裁判例集第四巻七五六頁)無罪の推定を受けるものとされているが、右の原則は刑事裁判における被告人の人権保障の思想の一として形成された原理であつて、一般社会生活関係の面においてまで例外を認めないほどの原則となつているものではない。検察官による公訴の提起は搜査の結果日時場所及び方法等によつて罪となるべき事実が特定できる程度(刑事訴訟法第二百五十六条参照)にまで嫌疑が具体化した場合に至つてなさるべきものであつて、搜査の始めに比べると嫌疑の程度は、はるかに客観的になつているのであり、公訴提起によつて事件は裁判所に係属し、有罪或は無罪の判決に至る端緒となり、又被告人の勾留される場合があることにもなる(同法第六十条参照)。ところで公務員は国民によつて選定されるべき全体の奉仕者(憲法第十五条)であつて、公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(法第三十条)ものであるから、刑事々件に関して起訴されその犯罪の嫌疑が或程度客観的に高められている職員が、依然として公共の利益のため国民の奉仕者として職務に当ることは、その職員のたずさわる職務の性質上その公訴事実如何によつては甚だしく不当なことにもなる。そしてまた被告人は原則として公判廷に出頭する義務を負い、或いは場合によつては勾留せられることがあるため起訴された職員はその全力を挙げて職務に専念できないこともあるわけである。かように考えてくると、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならないとされる職員の性質上、その起訴を以て休職に付することができるとした法第二十八条第二項第二号の規定は合理的なものであつて、何ら不合理な差別を規定したものということはできないから、法の右の規定が違憲であるという原告の主張は失当であり、これを前提とする本件休職処分が違法であるとの原告の主張も失当であるといわなければならない。

二、次ぎに原告は三つの理由を挙げて法第二十八条第二項第二号に該当しないと主張する。まず(イ)原告は同条項の「刑事事件に関し起訴された場合」とは起訴と同時に職員の身体が拘束され相当長期間職務に従事することができなくなつた場合を意味し、身体の拘束を受けていない職員についてはその適用がないと主張するけれども、右条項にいう「刑事事件に関し起訴された場合」とは、身体の拘束の有無を問わないものと解するのが相当である。けだし起訴された職員を休職にするのは身体の拘束により事実上職務に従事できなくなつた場合ばかりではなく、公訴事実の内容により引き続き職務に従事させることが職務の性質上不当である場合もこれに含まれることは前記一において説示したとおりであるからである。されば右見解に立脚する原告が法第二十八条第二項第二号に該当しないとの主張は爾余の点について判断するまでもなく失当である。次に(ロ)原告は審査の請求が認められていることからみても起訴された事実の外に休職を相当とする具体的事実がなければ休職することができないものと解すべきであると主張する。その意に反して不利益な処分を受けた職員は、人事委員会又は公平委員会に審査の請求ができることになつているから(法第四十九条第四項)、休職処分に付された職員は人事委員会又は公平委員会にその休職処分の審査を請求することができるのは勿論であるが、この休職処分に対し審査請求をすることが許されているからといつて原告主張のように刑事事件に関し起訴されたことだけでは休職処分に付することができないということは当らない。原告は、右の起訴の事由のみをもつて休職処分に付し得るとすればこれに対し審査請求を許して職員の身分を保障した法の立法趣旨を没却することになるというが、審査の請求は行政庁内部においてその処分の当否について反省を求めるものであつて、その審査に当る委員会では該処分の適法、違法の点を審査するに止まらず、その処分の当、不当の点についても審理し得るものであるから、右の不利益処分を受けた職員は当該処分の当、不当について事情を具して妥当な結論を出すよう審査の請求をなすことができるのであつて、前記の起訴の事由のみをもつて休職処分に付し得ると解しても、審査請求を許した立法趣旨を没却することにはならないのであつて、原告の主張するように起訴されていることの外に更に休職を相当とする具体的事実がなければ体職にできないということは到底いえない。更に(ハ)原告は、法が職員の身分を保障している趣旨からみても、起訴されても他に休職を相当としない特別の事情があるときはその職員を休職することができないものであると主張するが、法第二十八条第二項第二号は前記一に述べたとおり職員が刑事事件に関し起訴された場合にそのまま職務に従事させることが職務の性質上不当であり或いは身体の拘束等のため事実上職務に専念することができないこともあつて、その職務に従事させないことが適当である場合もあるので、その職員を休職することができる旨を定めたものと解すべきところ、その職務に従事させないことが適当であるかどうかの判断は、その職員の職務の性質、公訴事実の内容、その職員が勾留されているかどうか等を考慮してなさるべきものであるから、これを任命権者の自由裁量に任せているものと解すべきである。原告は休職を相当としない特別の事情が存在するときは、任命権者は自由裁量の余地なくその特別事情の存する限りその職員を休職処分にすることができないというが、もしその職員を休職にすることが何人が考えても不当であるような場合には、その裁量に著しい誤りがあり、自由裁量の範囲を逸脱した違法となると解すべきであつて、特別事情が存在するということだけでは当然にその職員に対してなされた休職処分を違法ということはできない。従つて休職を相当としない特別の事情の有無は、任命権者の裁量の範囲の限界を超えているかどうかの問題として取りあげられる筋合であつて、(この点については後記三のとおり)、休職を相当としない特別の事情があるときは任命権者は法第二十八条第二項第二号によつて休職することができないという原告の見解も採用できない。このような訳で原告が法第二十八条第二項第二号に該当しないという原告の主張はすべて失当である。

三、次に原告は本件休職処分が被告の裁量権の範囲を逸脱し、且つ原告を教職から追放する意図をもつて人事権を濫用してなされたものであるから違法であると主張する。法第二十八条第二項第二号は職員が刑事事件に関し起訴されたときに、任命権者にその職員の職務の性質、起訴状に記載された公訴事実の内容及びその職員が勾留されているかどうか等の諸事情を考慮し、その自由な裁量によつて、職務にたずさわることが不適当と認める場合にその職員を休職する権限を与えたものと解すべきであることは前記のとおりであるが、任命権者は職員の分限については公正でなければならない(法第二十七条第一項)のであつて、職員が起訴された場合においても前記諸事情からみてその起訴がなんら職務に悪影響を及ぼさず、その公訴事実につきたとえ有罪となつても職務を続けることに差障りがなく、休職にすることが甚だしく不当と認められる場合とか、職務になんら影響がないのに、他の目的のために休職処分をするとかの場合には、その権限の範囲を逸脱したものというべきであるから、このような処分は違法であると解すべきである、ところで法第二十八条第二項第二号は前叙のとおり刑事事件に関し起訴された事実を要件として任命権者に休職に付する権限を付与したものであつて、換言すれば、通常の場合においては起訴が嫌疑がある程度客観的に認められる段階においてなされる性質のものであることに着目して、このような法律的効果を認めたものであり、起訴の当否はその事件の係属する刑事裁判所の判断すべき事柄であるから、任命権者はその起訴された事実が真実であつて犯罪を構成するものであるかどうかについてまで考慮すべきではない。このことは休職の保全的性質から考えても明らかである。従つて任命権者のなした裁量の当否或いはその権限の濫用の有無について判断する場合においても、同様であつて公訴事実につき有罪かどうかを考慮する必要はないものと考える。このような観点にたつて本件休職処分が被告の権限の範囲を超えてなされたかどうかを考えてみる。

(1)  原告が西高教諭であつて、都高教組の指令を支持した同教組西高分会のメーデーに全員参加するとの決議に従い、昭和二十七年のメーデーに参加し、皇居前広場に立入つたためいわゆるメーデー騒擾事件の被疑者として逮捕、勾留され、釈放後八カ月近く経過した昭和二十七年十二月二十二日騒擾附和随行の事実があるとして身体を拘束されないで起訴されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三号証の二によると原告に対する公訴事実が「東京都における第二十三回メーデー中央大会は十数万人参会の下に、昭和二十七年五月一日午前十時二十分頃より新宿区明治神宮外苑において開催せられ、同日午後零時三十分頃終了し、大会参会者は、引続き東部、西部、南部、北部、中部の五群に分れて、それぞれ別経路の集団示威行進に移つたのであるが、かねてより千代田区の皇居外苑広場を暴力をもつて占拠すべく企図していた日本共産党員及び一部の過激な学生、朝鮮人及び自由労務者等は、大会挙行中より参会者に対し「人民広場へ行こう」、「人民広場を実力でかちとれ」等と呼び掛け愈々行進が開始せられるや、前記日本共産党員、学生、朝鮮人及び自由労務者等を主体とする数千人は、千代田区の日比谷公園を解散地とする中部及び南部の行進に加わり、その大半は、各々途中隊列を紊してその先頭を奪い、或は蛇行進を行い、或は投石しつつ行進した。そのうち中部コースを行進して来た一隊約三千人は午後二時頃同公園に到達したが、予定の解散場所たる同公園内において解散せず、口々に「人民広場へ行こう」、「人民広場をかちとれ」等と絶叫し、スクラムを組み、日比谷公園より皇居外苑広場に向つて無許可示威行進を起し、同区日比谷交叉点を強行突破し、在日米軍司令部附近に到るや「アメ公帰れ」、「ヤンキー帰れ」等と怒号し、附近に駐車中の外国人の自動車十数台に石塊を投じ、或はプラカード、棍棒、スパナ等をもつてその窓ガラスを破壊し、且つ、在日米軍司令部に投石する等暴行を逞しうして暴徒と化し、更に馬場先門入口附近において同所を警備していた警察職員に対し、「ポリ公を叩きのめせ」、「打ち殺せ」等と叫び、或はこれに投石し、同所において、隊伍を固めて一挙に馬場先門より皇居外苑広場に突入し、たちまち二重橋前に殺到して同橋の欄干に赤旗を打立てて気勢を挙げたた。このとき同広場を警備中の警視庁警察職員の一隊がこれを解散させようとしたが、暴徒はこれに応ぜず、右警察職員に対し、石塊、木片等を飛ばし、或は、プラカードの柄、竹竿、棍棒等を振つて殴りかかり、又警察職員を桜田濠に突き落す等して多数の警察職員に傷害を負わせ、或は祝田橋警備派出所建物を押し倒し、或は附近通行中の警視庁及び外国人等の自動車に投石する等の暴行を擅にした。一方、中部コースを行進して来た前記日本共産党員、学生、朝鮮人及び自由労務者等の残部の約二千人は、午後二時四十分頃、日比谷公園桜門附近において、暴力をもつて警察職員の制止を排除し、同区祝田橋に向い、同所を警備中の警察職員を棍棒、鉄制のプラカード、竹竿等をもつて殴打し、或は押し、或は突く等の暴行をなし、同所を強行突破して皇居外苑広場に突入し、他方南部コースを行進して来た日本共産党員、朝鮮人、自由労務者等数千人の一群は、午後三時頃、祝田橋より同広場に突入し、いずれも、さきに同広場に乱入した暴徒と合流、相呼応して益々その勢を加えた。これらの暴徒は同日午後六時過頃までの間同広場及び日比谷公園並びにその周辺においてこれを制止し、又は解散させようとした警察職員に対し喊声を挙げ、石塊空壜等を投じ、或は竹竿、棍棒、竹槍等を振つてこれを乱撃、強打し、又はこれを引き倒し、或は警察職員及び在日米軍兵士を凱旋濠に突き落した上、これに投石又は竹竿をもつて突く等の暴行を加えて、多数の警察職員に傷害を負わせ、更に日比谷公園附近道路に駐車中の警視庁及び外国人等の自動車十数台を転覆破壊し、又はこれに火を放つて焼燬し、或は日比谷公園有楽門巡査派出所を襲撃して窓硝子多数を破壊し、或は馬場先門より東京都庁に至る路上において外国人の自動車十数台の窓硝子を破壊する等暴行脅迫の限りを尽し、その間数時間に亘り、同地帯の電車、自動車等の交通をも杜絶、阻害するに至らしめて附近一帯の静謐を害し、騒擾をなしたものであるところ、右騒擾に際し、被告人荒木繁は東京都立西高等学校教諭であるが、同日午後三時過頃杉並土建労働組合員等の一団とともに前記暴徒に加わり日比谷公園桜門より祝田橋を経て皇居外苑広場に進入し、二重橋前附近において前記一団と共にスクラムを組んで警察職員と対峙し、以て附和随行したものである」というのであることが認められる。そして騒擾附和随行罪がいわゆる破廉恥罪でないことは当事者間にも争いがなく、その法定刑が罰金二千五百円以下であること、このような二千五百以下の罰金にあたる事件については、被告人が定まつた住居を有するときは勾留することができないこと、二千五百円以下の罰金にあたる事件については被告人は公判廷に出頭する義務がないこと、及び罰金刑に処せられただけでは職員は当然失職することにはなつておらず、そのことのみを理由に免職とならないことはいずれも原告挙示の各法律の条項から明らかであるが、罰金刑に過ぎない場合であつても、その犯罪行為をしたこと自体にその職員に公務員としての必要な適格性を有するか否かが問題になり適格性は有しないことになれば免職となることは法第二十八条第一項第三号に徴して明らかである。

(2)(A)  証人阿部乾六、同細田菊雄(第一、二回)の各証言と原告本人尋問の結果(第一回)を考え合わせると、原告は西高において生徒に対する処分が問題となつたときは常にその処分に反対の態度を示し同校々長細田菊雄と意見の対立があつたが、昭和二十四年末頃西高生徒喜入某が学校当局には無断でレツドパーヂ反対のビラを校内で配布したことで無期謹慎処分を受けたときも、これを審議する同校職員会や職員研究協議会の席上これに反対して細田校長の見解と相反した見解を主張したこと、昭和二十五年十二月十日毎日新聞が西高の生徒が赤化していると報道したことから問題となつて、同校記念祭に校内で平和運動のための署名活動をした生徒や校内で無断で集会した生徒の処分が問題となつたときにも、原告が反対したこと、その他の機会にも細田校長と意見の一致しないことが多かつたこと、などの事実が認められるけれども、被告や細田校長が原告に悪意を抱いていたとの事実は認められない。原告が組担任を持つていなかつたことは当事者間に争いがないが、前記証人細田菊雄、同阿部乾六の各証言と原告本人尋問の結果(第一回但し後記の措信しない部分を除く)によると、西高においては校長を除く教員で構成される職員研究協議会というのがあつて、組担任は校長から右協議会にし問し、協議会ではそのための委員会を設けてその原案を作成し、これについて協議会で審議して決定した答申に基いて、校長が決定する仕組となつていたが、原告が組担任を希望した昭和二十五年から昭和二十七年までの三年とも原告は右委員会の原案に洩れていて組担任とならなかつたもので、校長が悪意をもつていたから組担任とならなかつたものではないことが認められる。原告本人尋問の結果(第一回)中この認定と矛盾する部分は措信することができない。又証人田中喜一郎の証言によると、昭和二十六年十月以来被告の人事事務を担当していた田中喜一郎が原告を知つたのは、メーデー騒擾事件によつて原告が逮捕されたことからであつて、それまでは知らなかつたことが認められ、被告がかねがね原告に悪意をもつていたとは認められないのみならず又右メーデー騒擾事件で西高の生徒九名が騒擾罪容疑で逮捕されたことは当事者間に争いがないが、このことから特に原告を敵視したという証拠はない。

(B)  メーデー騒擾事件で起訴された者が二百五十三名であることは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果(第二回)によると右二百五十三名中附和随行罪で起訴された者は二名で原告の外の一名は職安関係者であること、原告はメーデー騒擾事件の被疑者として昭和二十七年五月四日逮捕され、引き続き勾留され同月二十日過ぎ処分保留のまま釈放され、その後同年十二月二十二日になつて身体不拘束のまま起訴されたこと(但し右事実のうち逮捕及び釈放の日をのぞいて原告の逮捕、勾留、起訴に関する事実は当事者間に争いがない)が認められるし、証人増田良繁、同岸田文夫の各証言と原告本人尋問の結果(第二回)を綜合すると、メーデー騒擾事件で原告及び西高生徒等が杉並警察署に勾留されたので、その勾留中西高の生徒係をしていた増田良繁及び岸田文夫が、取調状況の問合せ等のため杉並警察署に行き当時原告等の取調べに当つていた東京地方検察庁佐久間検事と面会した際、同検事は右両名等に原告の平常のことを聞いて学校でも原告が色々問題をおこして困つているのに教育長の方で馘にできないなら自分の方でなんとかしなければならない、本心とも冗談ともわからないような口振りで話をしたことが認められる。又昭和二十七年十二月二十七日朝日新聞の夕刊で原告が起訴されたことは当事者間に争いがないが、証人細田菊雄の証言(第一、二回但し後記の認定に矛盾する部分を除く、該部分は措信しない)に原告本人尋問の結果(第二回)によると、原告が起訴状の謄本の送達を受けたのは昭和二十八年一月十三日であるが、それより前同月八日支給される原告の同月前期分の俸給について同校事務長石川三吉が原告にその支給を躊躇しており、原告が校長及び事務長に抗議してその前期分全額の支給を受けたこと、原告が起訴状謄本の送達を受けたことを細田校長に報告すると、校長は自宅研修を原告に命じたことなどの事実が認定されるけれどもこれだけの事実からでは本件起訴が原告主張のように原告を教職から追放しようとの政治的意図で被告と東京地方検察庁とが通謀してなしたものとは断定できないのみならず証人細田菊雄の証言(一、二回)によると、原告に対し自宅研修を命じたのは原告の起訴によつて生徒及び社会が受ける動揺を緩和しようと考えて命じたものであることが認められるし、検察官は犯人の性格、年令及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況等を考慮して起訴不起訴を決定すべきものである(刑事訴訟法第二百四十八条)から、原告の教師たる立場や平常の学校における勤務状況等を考慮して起訴することを妨げないのであつて、右認定の佐久間検事の言辞からだけで本件起訴が原告を教職から追放しようとの意図でなされたと断定することは困難である。

(C)  昭和二十八年二月上旬以来、原告の教え子である西高生徒、同校教職員並びに都高教組本部委員及び各支部委員が原告を休職させないよう被告に陳情したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証の二と証人増田良繁の証言によると原告の授業を受けている学級の生徒はクラス会で原告の休職反対の決議を行つたこと、父兄のある者は原告が授業に熱心であるから休職は気の毒だという意見のものもあつたことが認められる。証人最上孝敬、同細田菊雄(第二回)同増田良繁の証言を合わせ考えると、事件発生後原告が勾留された後においても又起訴後においてもPTA総会や委員会の席上子供のことを考えると不安であるから原告のような先生は退職にできないのかとか、原告が西高にいては子弟の教育上困るとかの強硬な意見を述べる父兄もあつたこと、西高教職員からの陳情が原告の家庭の経済を考えての同情からなされたものであることが認められる。

(D)  証人田中喜一郎の証言(第二回)と成立に争いのない甲第一号証によると、昭和二十八年三月五日開催の東京都議会第一回定例会において安藤章一郎議員が原告等の処分について質問をしていることが認められるけれども、右事実からだけでは被告が右安藤議員に迎合する意図で本件処分をしたとは断定できないのみならず、成立に争いのない乙第六号証の一と前記証人田中喜一郎の証言(第一、二回)によると、被告の事務を担当している教育庁では原告が起訴された後その教育に及ぼす影響を考えて原告を休職することはやむを得ないと考え、昭和二十八年一月二十六日同庁学務部職員課員河内某が決裁書類を起案し、職員課長、学務部長、教育次長及び教育長の各決裁を得たが本件休職処分については社会的な関心も強いので、従前は一般職員については教育長の決裁で発令していたのを特に被告の承認を求めることになり、同年二月の委員会に提示し、二、三回議論した結果二月二十五、六日頃に承認されたが、教育長からその発令を待てと指示があつたので、すぐ発令せず教育長の指示により同年三月四日発令したことが認定できるのであつて、特に安藤議員に迎合する意図があつたとは解せられない。

その他の原告主張の事実はこれを認めるに足りる証拠はないし、前示の各認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の諸事実によつてはまだ本件休職処分が著しく裁量を誤つたと解することはできない。又右のとおり被告の裁量が著しく不当と認められないことと、前記(B)(C)(D)で認定した事実を考え合せると本件休職処分が被告の人事権を濫用してなされたものとは到底いえない。従つてこの点の原告の主張も失当である。

このような訳で原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 飯山悦治 三渕嘉子 井関浩)

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